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音楽評論家、ミュージシャン、DJ、占い師:鳥井賀句の日々徒然のブログ
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11月8日(土)
約2年間人前から姿を消していた山口冨士夫、糖尿病やすい臓を悪くして、ずっと療養生活を送っていたそうだ。一時はかなりやばい状態で片足切断とかの噂がネットに流れたものだ。その冨士夫、彼のブログを読むと
最近は山奥で療養していたそうで、やっとライヴができる状態になったようで、久々の復活ライヴを原宿のクロコダイルでやるというので、オレもかけつけてみた。が、凄い人が並んでいて、入れるかどうかわからん位の
満員状態。なんとかマネジャーを見つけて入ることができた。場内は椅子、テーブルを取っ払ってすし詰め状態。最初に冨士夫が出てきて、皆に感謝の挨拶をし、この日の対バンのベガーズと1曲「いきなりサンシャイン」をぶちかます。続いてベガーズの登場で、彼らは70年代の頃のストーンズの完コピ・バンドで、ヴォーカルやギター、ドラムのルックス、ファッションまで当時のストーンズに似せていて、パーティー・バンドとしては楽しめるが、それ以上ではない。これで同じような雰囲気を持ったオリジナルを作り出せれば最高なのだが。。。
 二部の頭に出てきた冨士夫は、アコギでなんか内省的な歌を歌ったが、やはり体調に無理をしての出演のようで、フラフラした感じ。エレキに持ち替え、ダイナマイツ時代のベーシストと女性ドラマーをバックにダイナマイツの「トンネル天国」や「サマータイム・ブルース」、「ジャスト・ライク・ア・ウーマン」等のカヴァーを約1時間歌った。そして最後には元タンブリングスの青ちゃんこと青木真一が登場して、一緒に2曲演奏した。冨士夫はまだ本調子じゃなかったが、やはり彼の存在というのは、もはや絶滅しかかっているリアル・ロックン・ロールの最後の生き神さまという感じで、冨士夫が生きて歌っているだけで、ファンは嬉しい気持ちになれるのだ。最後に冨士夫が言っていた。「今までがリハーサルでこれからが本番だ」と。早く全面快気して新しいアルバムを届けてもらいたいと思う。冨士夫の伝記本「SO WHAT]に「あるときは最大の理解者であり、あるときは最大の敵」と書かれている俺だが(笑)、フジオのことはずっと見続けていくつもりだ。冨士夫がジョニー・サンダースの「SO ALONE]のコード進行でオリジナルの歌詞を歌ってたのが興味深かった。



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11月7日(金)
★9・14に日記書いてから、もう2ヶ月たってしまった。この間に観たライヴは9・15のDIAMOND YUKAI(渋谷BOX),9・26のSHHENA&THE ROKKETS(渋谷DUO),10・4の渚ようこ(新宿コマ劇場)、10・5のFLOWER TRAVELIN’ BANDとJOHNNY,LOUIS&CHARの合同復活コンサート(日比谷野音)など。シナロケにはRCのCHABOさんがゲストで登場して、シナロケと「雨上がりの夜空」を歌って感激。CHABOさんとはホント、10年ぶりくらいに再会したが、いつまでも変わらないナイス・ガイだ。渚ようこの初の、そして取り壊されるのでラストの新宿コマはほぼ満員で、大成功。コンサートの感想は11月20日売りの「ミュージック・マガジン」に書いた。10・5のフラワーの再結成は、やはりJOEさんのVOCALが素晴らしかった。JOEが満員の客席を見て思わず涙を流していたのを観た。60歳を過ぎても素晴らしい真のロッカーだ。
★その他にも、毎月15日(60組)くらいは「青い部屋」で色々な新人やアングラな人たちのライヴを見ているのだが、たまに凄い歌を歌う人に出会い、心をわしずかみにされることがある。今年の夏以降、ボクがBOOKING担当になってから観た中では、LOACHというシンガーが凄い。外見は普通なのだが、声がまるでスライダーズのハリーみたいで、歌詞がディランのように鋭く突き刺さる。特に現代のせつな的な少女たちに歌いかけた「メリーさんの羊」は凄い歌だ。あと新人オーディションで登場したSADY&MADYという、VO&アコギとドラムの2人組は、まるでプログレッシヴ・フォークという感じで、VOCALの人の独特な歌詞世界がとてもいい。その他にも20歳でボトルネック・ギターでブルースやアメリカン・フォークを歌う知花という女の子や、最近知り合ったCHIGUOという女性版SIONみたいな女性シンガー&ソングライターのヴォーカルにもぐっときた。

★色々やりたいことが山積みなのだが、日々忙しく過ぎてしまう。とりあえずPEACOCK BABIESのファースト・アルバム用の全15曲を録り終え(一発録りスタジオ・ライヴ)、今はミックスの最終段階。エンジニアのISAOくんが仕事が早く、直感が鋭いので想像以上の出来になったと思う。勿論、最少予算でやっているので、金と時間がもっとあればいくらでも更に良いものができるのだが、なにせ10万円以下の予算で作っているんだからね。

★小室哲哉サギ逮捕、オバマ黒人初の大統領誕生など、ニュース欄が騒がしいが、小室のひと月の生活費が800万円、家賃280万円ときいて、驚いた。結局売れていたバブルの頃の金銭感覚が捨てきれなかったんだろうな。借金が10億もあるのに、なんで1ヶ月に800万円も使っていられるのか、その感覚のズレが今回のような事件を引き起こしてしまったんだと思う。オバマはオレも支持していたが、黒人が大統領になったと言っても、そう簡単にアメリカは変わらないと思う。一番危惧されるのは、アメリカ南部の方にいるKKKなどの人種差別主義者などが、彼を暗殺することだ。既に未遂事件も起こっているのだから。

9月14日(日)

     この1ヶ月以上、まったく日記を更新していなかったので、ひょっこり会う人に「最近更新されていませんね」と言われたり、メールで「お元気なんですか?」と心配されたりする。毎日が忙しいともいえるが、ちょっとした暇を見つけて何か書こうとも思うのだが、別にこんなこと書いてもなあ・・・という自己抑制モードが働いて結局書かずにいる。数年前は毎日のように日記を更新していたものだが、あの頃は、何か、自分の気持ちを伝えたいとか、自己顕示欲も強かったのだろう。ただその日の気分でダラダラと雑記を書くことに飽きてしまったというか、内面下で考えているヘヴィーなことは人前に晒す気はないので、結局こんなレコードや本を買ったとか、どこそこの料理が美味かった・・・とか言った茶飲み話に終始する。でも、ネット・サーフィンなどして、こういうブログを読んでいる人たちは、ただ、ティー・ブレイクの暇つぶしで覗いている人が殆どだろうし、そのような雑記で十分なのだとも思えるので、もっと気軽に暇つぶしの雑文を書けばいいのだろうが、いかんせん、最近は暇がなかなかないのである。月の半分は「青い部屋」に行かねばならないし、週1でバンドの練習でスタジオに入るし、毎月60ものバンドをブッキングしなくてはならないし、他にもちょこっと原稿を書いたり、映画の試写会に行ったり、友達のライヴを観にいったり、デートしたり、猫の餌を買いに行ったり、部屋の掃除をしたり・・・で、なにやかにやと雑事に追われ、結局買った本を読む暇がなく、積ん読になっている。だがその反面、外に飲みに行くことが多くなった。女と暮らしていた時は、バンドの打ち上げ以外では殆ど外に飲みに行くこともなかったのだが、この半年あまり、新宿のゴールデン街で飲むことが多くなった。歌謡曲バー「夜間飛行」と松田優作バー「OIL」、そして2丁目のROCKバー「SMOKIN‘BOOGIE」が行きつけの店だが、他に「ソワレ」や「スージーQ」他の店にも知り合いの女子が雇われママで働いている日に覗いたりする。オレが70年代に行っていた頃のゴールデン街は、学生運動くずれの客が議論をふっかけてきたり、すぐに喧嘩騒ぎになったものだが、今のゴールデン街は若い人たちが経営者になっていて、音楽や芝居をやっている人たちの社交の場といった感じだ。実はオレも来年あたり、ゴールデン街でバーをやろうかとも思っていて、その下見のためもあるのだ。ゴールデン街の店は狭いぶん、家賃も安いし、リスクも少ないので、最低限の生活費を稼ぐ拠点を持っておくのもいいかなと思うのである。

     我が家の猫事情にも変化が起きていた。現在飼い猫はキララ、ビト、ジュネ、ジャンの4匹なのだが、数ヶ月前から、野良猫のドラ猫が勝手に家に入り込んではウチの猫たちの餌を盗み食いするようになっていた。一応ボスのキララと2番手のビトはウウウーと唸ってそのドラを威嚇して追い出すのだが、なにせ相手はものすごくガタイのでかい猫なので、怖がらない。最初の頃は石を投げていたのだが、毎日腹をすかせて飯をねだる姿を見ているうちにかわいそうになって、残飯を庭に出してやるようにした。そうしたら、だんだんとずうずうしくなってきて、家に入り込んでソファーの上で寝ていたりする。ところがボクが一番可愛がっているジャンが耳を噛まれて血だらけになっていた。結局一番チビのジャンがドラにやられたのだ。そしてジャンはドラ猫が怖くて家に寄り付かなくなって何日も外に隠れている始末だ。結局ジャンを戻すために、ドラに石を投げてもう来ないように追い出した。すると今度は大雨の続いたある日、台所でミャーミャーと鳴く声がする。見ると茶色の生後3ヶ月くらいの子猫だった。雨の中をどこかから入り込んだのか、猫屋敷として近所で有名な我が家の庭に、誰かが飼えなくなった子猫を投げ込んだのだろう。結局10日間ほど餌をやったりしたが、今度はジャンがその子を気味悪がってまた逃げるようになった。そんなとき知り合いのYUちゃんと彼氏が同棲を始めて、猫を飼いたいというので、結局あげることにした。餌でうまくおびき出してケージの中に閉じ込めると、ワーンワーン鳴いて後ろ髪を引かれる思いだったが、今の状態では、これ以上新しい猫を増やすことはできないので、情が深くなる前に他人にあげたほうが正解だったと思う。チョコ(便宜上付けた名前)も元気で可愛がってもらえたらそれでいい。

 

c579764d.jpg8月4日(月)
まったくうだるような暑さが続く。7月31日は「青い部屋」で友人の映画監督、高橋玄のtalk showと彼の映画の歴史をダイジェスト判で鑑賞するというマニアックな企画をやってみた。お客さんはいまいちの入りだったが、同じく映画監督で映画オタクの中田圭、司会の俳優の岡村洋一を交えての4時間にも渡るトークショウの内容は非常に面白く、映画界の暴露ハナシや、具体的な金銭のハナシなど、他では絶対聴けないようなハナシのオンパレードで、とても有意義な夜であった。終焉後、玄さんと新宿ゴールデン街へ行き、「oil」という松田優作バーで飲んだ。ここのマスタは肩まで伸びた長髪にグラサン、刺青で、かなりの恐持てだが、口当たりは実にソフトな人。「新宿コネクション」という優作さんの曲をカヴァーするバンドのドラマーもやっている。
高橋玄監督とは縁あって3年ほど前に知り合い、彼の「カロン」、「ポチの告白」等の映画を観て、その才能に敬服してから、時々メールしたりの関係が続いている。その才能に反して、世渡りが下手なのか、彼の名前はまだ一般には知られていない。だが来年早々公開予定の乙一原作のホラーミステリー「GOTH」をいち早く見せてもらったが、たぶんこの映画で高橋玄の名前は大きく知られることになるだろうと思う。そしてその後には問題作「ポチの告白」が控えていて、この映画もまた、社会派ジャーナリズムの間で波紋を呼ぶことであろう。
 少し懐が暖かくなったので、久々に本屋に行って本をごっそり買い込んだ。先のトークショウの中でも話題になっていた松田優作の元妻でノンフィクション・ライターの松田美智子の書いた「越境者:松田優作」はとても胸に迫る本だった。オレも松田優作の映画や本は殆どチェックしている優作フリークの一人だが、この本には今まで語られなかった、彼が在日朝鮮人の生まれだったことや、死ぬ前に新興宗教に傾倒していたことなど、赤裸々な真実が描かれている。優作ファンなら是非とも読んで欲しい。
他にはフィッツジェラルドの『夜はやさし』、『グレート・ギャッビー』、サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』などの昔読んだアメリカ文学の古典を買った。村上春樹の新訳で読んでみたかったからだ。やっと5日間の連続した休みが取れたので、本を読み、DVDを見たりして、しばらくゆったりと過ごしたい。
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7月26日(土)
いやー、この2週間は怒涛のような忙しさだった。「青い部屋」でお試し期間限定でランチタイムを2週間やってみようということになり、7月14日から25日まで、土日祝を除く毎日11:30-2:30までランチをやったのだが、結局専門の料理人は私しかおらず、オレが毎日料理を作ることに。開店前にスーパーで食材を買出しして、軽く下ごしらえなどもする。全部でランチは5セットで、本日のカレー、本日のパスタ、エスニック・オムライス、地中海ラーメン、ピリ辛冷やし坦坦麺に、ミニサラダとソフトドリンンクが付く。オレはこのうちカレー以外を一人で全部作るから大変だ。初日は3人くらいしかお客は来なかったが、3日目から25-30人と客が来て、皆が別々の物を注文した時にはパニック状態になる。おまけにその日の夜にオレが企画したライヴがある日は、家にいちいち帰っている暇がないので、サテンで仮眠して、また夕方からDJのお仕事で、結局「青い部屋」に毎日10時間以上もいるハメに。夜中に帰って猫の餌をやり、シャワーを浴びて泥のように寝る毎日・・・だがテンションが異常に高くてすぐに目が覚めてしまう。頭の中を色々なアイディアが飛び交って、落ち着く暇がない。
7月26日は私の36歳のバースデーということで(笑)、ブルベでPEACOCK BABIESで演奏した後、誕生日パーティーをかねた打ち上げをやり、20人ほどの人たちが残ってパーティに参加してくれた。ワインやブランデーなどのお酒を沢山もらったが、皆と一緒に飲んでしまった。結局打ち上げの料理もオレが自分で作るはめに。手羽先のマンゴーカレー風味、チキンピラフ、海苔と柚子胡椒のスパゲティなどをふるまった。写真は自作のペスカトーレ(魚介類のトマト味のスパゲティ)。


7月15日(火)
35年ぶりに再結成されたフラワー・トラベリン・バンドのお披露目ライヴを原宿「クロコダイル」に観にいく。
2日間あって、なんと1日の入場料は100名限定で12000円(オードブル付き)ということ。オレは取材で入れた。9・17に待望の新作を出す彼らにインタヴューすることになっているのだ。
最初は近田春夫の司会でフラワーのヒストリーや裏バナシがメンバーから語られそれも面白かったが、2部は彼等のライヴでこれが凄かった。大昔に日比谷の野音で彼等のライヴを観たことがあるが、こんな小さなライヴハウスでかぶりつきで観れたのは最高だった。メンバーは皆60歳を過ぎ、シターラを弾く石間秀機など白髪のメンバーも多いが、やはりその演奏力は歳をとっても大したものだった。今回から元ハプニングス・フォーの篠原信彦が正式なメンバーとしてキーボードで参加している。結局ニュー・アルバムからの新曲が演奏されたが、アンコールでやった懐かしの「SATORI」は凄かった。なにせヴォーカルのジョー山中はあの高いキーを35年前と同じ高さで、音程を下げることなく見事に歌いきったのだ。ツェッペリンの再結成では、ロバート・プラントはキーを下げて歌っていたのに、ジョーの歌唱力は素晴らしい。既に海外からツアーのオファーも来ているというが、35年後の今、最後の日本ロックの大物、フラワーが再結成することにより、本物のロック・バンドの力量を今の世代に知らしめることになるだろう。

6月28日(土)
ジョン・シンクレアは元MC5のマネジャーとして知られる人で、同時にジャズ評論家やホワイト・パンサー党という白人反体制集団を率いて、MC5の活動の方向性を示唆していた伝説の人物だった。1971年に、警察当局から反体制分子として目をつけられていた彼は、わずか数本のマリワナを所持していた容疑で、終身刑を言い渡され投獄された。それを聞いたジョン・レノンと小野ヨーコはジョンを釈放せよと訴えるコンサートを開き、「ジョン・シンクレア」という曲を書いて歌った。そのコンサートには他にスティーヴィー・ワンダーやアレン・ギンズバーグら、多くのミュージシャンや詩人が出演した。ジョン・レノンの訴えは世論を動かし、シンクレアはそのコンサートから3日後に釈放された。その後のジョン・シンクレアはニューオリンズでブルース研究家や詩人として活動し、現在はアムステルダムに住み、インターネットでフリー・ラジオ放送局でDJをやっている。
 原宿のセレクトショップ「東京ヒプスターズ・クラブ」のイヴェントでジョンが来日し、彼のトーク・ショーが行われることになり、ボクがインタヴュアーとして参加した。当時のMC5のこと、反体制運動のことなどを、約1時間半に渡って聞き、とても有意義な時間を過ごせたと思う。会場も100人ほどの人で立ち見が出るほどだった。
 ジョンは凄く巨漢だったが、とてもおだやかで優しい目をしている人だった。
その後「青い部屋」でのボクのイヴェント「BLUE VELVET NIGHT」にも遊びに来てくれた。かつての反体制の闘志だった彼は、今もフリーラジオのDJとして、詩人として、自分の考えを世界に向けて投げかけ続けている。老兵は死なず・・である。ボクも彼のような歳の取り方をしたいなと思った。

6月9日(月)
6月から「青い部屋」のBOOKINGマネジャーを任されることになって、一月に15-20本くらいのLIVEを入れることになったんだが、1回のLIVEに4アーティストを組むから、約60以上のアーティストに連絡をつけねばならず、これがかなり手間のかかる仕事だ。出て欲しいバンドのスケジュールがあいていなかったり、たとえばヴォーカルはOKでも、ドラムの人が仕事でNGとか、そんなのが多い。バンドは大体メンバーが4,5人いるから、全員の返事をもらえるまで3,4日待たねばならない。で、4日たっても、結局NGが出ると、また次の候補に打診するという、凄く時間のかかる作業なのだ。やはりこちらとしても、音楽性の高い魅力的な人たちに出て欲しいから、誰でもいいというわけではない。そういう魅力的なアーティストを見つけて来て交渉して、1個のイヴェントを組み、それが上手く行った時は、とてもハッピーな気分になる。
 先週の週末に3本のイヴェントを組み、なかなか評判が良かった。まず6月6日(金)に「野良猫ROCK」というガレージ、R&R系のイヴェントのVOL1をやった。DJは元ファントム・ギフトのチャーリーがコアなR&Rをかけまくり、LETS GOES,VIVIAN BOYS,PLAYHOUSE,BOOGIE BOY IKUTOの4組がそれぞれ手ごたえのあるゴリゴリのR&Rやブギーをガツンとぶちかましてくれた。特にキャロルやクールスのスピリットを受け継いでいるPLAYHOUSEと、ブギー一筋に20年の、BOOGIE BOY IKUTOが圧巻だった。凄くディープな自分のスタイルを持ち、かつ半端なく歌い演奏する。
 7日の土曜日はこれも新シリーズの第1回目で、「歌謡曲最前線」というネオ歌謡曲やGS系のイヴェントをやり、ギャランティーク和恵、田渕純というメチャ歌の上手い本格的な歌謡シンガーを迎え、オレたち歌謡パンクのPEACOCK BABIESと、東京タワーC子が出た。この日DJのサミー前田の取材で、テレ朝のショコタンの番組が取材に来て、DJのビート歌謡曲にあわせてフロアーが踊り狂うという、ハプニングもあって、大いに盛り上がった。
 8日の日曜日にはこれまた新シリーズVOL1で、「MOJO WORKIN’」というR&B,ブルース系のイヴェントをやり、若手R&B系のTHE TRAMP(松江サキの黒っぽいVOCALと高い演奏力)、GEORGIA ON MY MINDS(コンカオリのシャウト・ヴォーカルとJBマナーのバカテクのバンド)、BIT OF PRESUREという大学の軽音楽サークルっぽい、ホーンセクションの入った若手R&Bグループ、そしてトリが元ダイナマイツの瀬川ヒロシ率いるTRAVELLING OCEAN BLUEBIRDSで、年代モノの熟成ワインのような瀬川さんのソウルフルなヴォーカルとブルージーな演奏を目一杯楽しんだ。
 今後もこの「野良猫ROCK」、「歌謡曲最前線」、「MOJO WORKIN’]という3つのイヴェントをシリーズ化させて行きたい。この3日間、どの日も素晴らしいアーティストのライヴを堪能した良き日々であった。

6月1日(日)
世田谷美術館に横尾忠則展を観にいく。横尾さんは、彼の描く絵も、エッセイも高校時代から大好きで、これまでも何度も個展を見てきたが、今回のものは、60年代の雑誌やポスター用の初期のイラストから、最近のシュールリアリズム絵画まで、かなりの数の作品が展示された見応えのあるものだった。最近の彼の絵は、アンリ・ミショーとかダリとかマグリットとかはたまたミケランジェロや「ガロ」系の漫画風のものまで、様々な作品からの影響と言うかオマージュを感じさせるものが多い。ミケランジェロとダリと花輪和一の合体?みたいな感じが多いが、不思議な懐かしさとどうしようもない日本と言う風土を感じてしまうところが、彼の絵の個性だと思う。
6月15日までやっているので、時間のある人は是非見ておくといいと思う。

5月18日(日)
日比谷の野外音楽堂で、JAPAN ROCK BAND FES 2008というコンサートを観る。出演したのはBLUES CREATION,紫、めんたんぴん、頭脳警察、という60-70年代日本のロックの歴史的なバンドばかり。はやいハナシが、オジン・ロッカー大集合という感じか。チケもオヤジ世代に向けてか、立ち見で5000円、椅子席6500-10000円と高い。会場にはやはり50代以上の人たちが殆ど。
めんたんぴんはヴォーカルの佐々木忠平とは知り合いなのだが、今回の再結成はこれだけのものだそうで、オリジナル・メンバーではなく、ギターには元アイドルワイルド・サウスの松浦などが加わり、相変わらずグレートフル・デッドゆずりのレイドバックしたアメリカン・ロック・サウンドを聴かせていた。しかしさすが歌も演奏も余裕である。
2番手の紫は、その名通り、当時は日本のディープ・パープルといわれていた沖縄産のハード・ロック・バンド。今聴くと、テクニック的にも大したことはなく、すごく古臭い感じがした。
3番手は最近また再始動した頭脳警察。今回はPANTAのソロでバックをやっている陽炎がバックに参加し、よりグレードアップしたサウンドを聴かせていた。おなじみの頭警ナンバーのオンパレード。PANTAは今までずっと現役なだけに、やはりステージも歌も凄くパワフルだ。70年代初期にこの野音でよく頭脳警察を見ていたが、今の方が当時よりもパワフルな気がする。それって凄いことだ。
最後が30年以上ぶりになるBLUES CREATION。CREATIONではなく、ギターの竹田和夫がまだ高校生の時にデヴューしたブルース・クリエイションだ。久しぶりに竹田のギターを聴いたが、いやー、素晴らしい。火を吹くマシンガンのようなブルース・ギターだった。ブルース・ギターを弾く人は多いが、ここまでエモーショナルに弾ける人は、そうざらにはいないだろうと思った。全盛期のピーター・グリーンとタメで勝負できる気がした。
70年代野音に集っていた長髪のロック世代も、今や頭のはげかかったオヤジとオバサンになった。時の流れは残酷である。だが、いいではないかと思った。もはやロックは若者だけの音楽ではないのだ。高齢者のための、シルヴァー世代のためのロックだって、必要とされているのである。つまり歳をとっても、演歌やフュージョンに走らず、ずっとロックを聴き続けてきた世代がこの日本にも確実に育ってきたということであろう。

 

鳥井賀句