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音楽評論家、ミュージシャン、DJ、占い師:鳥井賀句の日々徒然のブログ
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5月13日(火)
約27年ぶりに再結成されたONLY ONESの来日公演の最終日を高田馬場「AREA」で観た。ONLY ONESは70年代末期のロンドン・パンクの中では、ヴォーカル&ギターのピーター・ペレットの作る曲や声、歌詞の世界が、シド・バレットやボブ・ディラン、ルー・リード、テレヴィジョン、ジョニー・サンダースらと比較され、どちらかというとニューヨーク・パンクの文学的世界に通じるものがあり、ボクは大好きだった。実際ピーターはジョニー・サンダースとは友達で、彼の『SO ALONE』にも参加しているし、一時期一緒にLIVING DEADというバンドでステージもやっている。ピーターはジョニーに負けず劣らずのジャンキーとして有名で、何度も死亡説や、再起不能説が流れた。彼は昔、自分のヤク代を稼ぐために、ヤクの売人をやっていたことがあり、なんとその常連客はキース・リチャーズだったという。ある日ピーターから渡されたデモ・テープを聴いたキースは、ONLY ONESを気に入り、彼がONLY ONESのアルバムをプロデュースするハナシもあがったが、結局それは実現しなかった。
ONLY ONESはメジャーのエピックから3枚のアルバムを出したが、ピーターのドラッグ中毒がひどく、すぐに81年に解散してしまった。その後96年に一度、ピーターは単独で来日公演を行い、昔の新宿LOFTに観にいったこともある。、
今回の再結成は4人ともオリジナル・メンバーでのもので、やはりドラムのマイク・ケリーは元スプーキー・トゥースというプログレ・バンドの出身だけあり、素晴らしいドラミングを聴かせていたし、ジョン・ペリーもジャンキーで有名だったが、あの独特のメロディックなギターを弾いていた。太って髪がなく、コジャックみたいな風貌だったが。問題のピーターだが、元々美青年のその顔は、大きなサングラスで終始隠されていたが、やはりかなり老けこんだ感じは受けた。中毒者のやつれ果てたようなシワとゲッソリと落ち窪んだ顔にはちょっと引いてしまった。しかしあの震える声は健在で、昔のONLY ONESと大差ない素晴らしいステージをやってくれた。ONLY ONESの魅力は、ピーターの隠花植物のような翳りを帯びた声がポップなメロディと躍動的なリズム隊に乗って演奏されるところだ。曲が最高にいいのだ。f0da1adbjpeg暗いけど暗くなく、ただ能天気に明るくもない、絶妙な倦怠と退廃の香りがたまらない。某誌でインタヴューを申し込んでいたのだが、かなわなかった。ピーターのロンドンの友人はオレの友人なので、そちらから手を回せばインタヴューもできたと思うが、なぜかそこまでする気にはならなかった。親しくなって「ハッパくれ」とか頼まれるのも面倒くさいし。ひっそりとキャパ100くらいの小さなライヴ・ハウスでピーターの健在ぶりと、ONLY ONESの見事な復活を見届けただけで満足できたオレだった。
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1293f691jpeg5月1日(木)
恵比寿ガーデンホールにシーナ&ザ・ロケッツの30周年記念LIVEを観にいく。鮎川&SHEENAさんにはプライヴェートでも仲良くしてもらっていて、鮎川3姉妹も彼女たちが10歳くらいの頃から知っている。いつも変わらぬ鮎川&SHEENAだが、一口に同じバンドを夫婦で30年もやり続けてきたことって、これは実際やるとなると、相当大変なことだと思う。夫婦や恋人だって30年間も持続するなんて難しいのに、二人でバンドを30年もやり続けてこれたなんて、これは正直凄くリスペクトに値することだ。超満員の会場には、そんな彼等の長い歴史を振り返るかのように、多くのゲストが登場した。YMOの高橋ユキヒロ、細野晴臣、元ウエストロード・ブルース・バンドの永井ホトケ、元ルースターズの花田裕之、元ミッシェルガンの千葉、サンハウスの柴山裕之、そして内田裕也さん、と、いかに彼らが新旧のロック世代とコミュニケートしながら、この30年を生き抜いてきたかが理解できる人選だった。自分たちより上の世代への欠かさぬリスペクト、そして自分たちより下の世代への暖かいサポート・・その両方をいつも自然体で体現してきた鮎川&SHEENAだからこそ、彼らはこんなに長い間この日本のロック界に生き残ってきたのだ。ひとつにはまず何よりもロックンロールという音楽に対する限りない愛情、そして自分たちがロックンロールをやり続けるという強い意志、それを鮎川&SHEENAは決して捨てなかった。ロックンロールを決して、特殊のアウトサイダーたちのものとせず、家庭を築き、子供を育てながら、奇をてらわずに自然体で地道にやり続けることで、他の一時のセンシェーショナリズムで消えていった多くのバンドよりも、今まで生き残ってくることができたのだ。久々のニュー・アルバム『JAPANIC』には、「ジョニー・B.グッド」や「マイ・ウェイ」といったロックのスタンダードも収められ、いつもと変わらぬルーツ・ロックン・ロールをはじけるようなパワーで聴かせている。それを旧態依然とした回顧趣味などと思う人には結局のところ、ロックンロールもブルースもその本来の「あるべきもの」としての存在論などわかるわけもないだろう。30年後の今日も30年前と変わらぬロックンロールへの愛をステージから溢れんばかりに放射していた鮎川誠&SHEENA,そしてROKKETSのメンバーには、見ていて目頭が熱くなるものがあった。会場には彼らを慕う数多くの若手ロック・ミュージシャンが溢れていた。


4月24日(木)
やっと仕事のギャラが入って少し懐が暖かくなったので、新しい服を買った。日ごろはヤフオクで中古の古着のシャツを買っているのだが、今回は新品をGETした。夏用のサファリ・ジャケットが欲しくて、それも麻100%の通気性の良いものを探していたら、ネイビー・ブルーのかっこいい麻100のジャケを見つけた。イタリアの有名ブランド、エトロの製品だ。エトロはペイズリー模様のバッグで有名なブランドだが、洋服にもセンスのあるデザインのものが多い。だが、お値段が高すぎる。それをセールで約半額で手に入れた。まあそれでも普段自分が買う服よりもずっと高いが、まあいいものは少々高くても10年くらい大切に着れば、元は取れるというものだ。リーバイスのモスグリーンのジーンズも買った。今日は散財してしまった。

5月から「青い部屋」のブッキング・マネジャー件プロデューサーを任されることになった。毎月のLIVEブッキング、その他店内メニューや営業方針などにも、関わって、もっと良い店にしていくつもりだ。とりあえず、ROCKやGARAGE,FOLK,BLUESなどのイヴェントも6月からどんどん入れていく。どんどん出演応募して欲しい。それと、今まで食い物関係が弱かったお店を、美味しい洒落れたカフェめしが食べられるお店に変えていく。シェフは、この私だ。とりあえず、「地中海ラーメン(トマト・スープにチーズ入り)」、「とろとろオムライス」を是非食べにきて欲しい。

f7fc6facjpeg3月25日(火)
昨日は再び寒くて天気が悪かったが、今日は春めいたいい天気だ。
22日の土曜日は青い部屋のブルベにPEACOCK BABIESで出演。せっかく買った新しいギターと古いギターを間違えて持ってきてしまったのだが(アルツハイマーか?)、演奏の方はだいぶまとまってきたみたいだ。ただ最後にマナコを背負って肩車したら、これが意外に重くて、腰を痛めてしまった。PEACOCKは6月までに7本のライヴをやる。上がそのフライヤーだ。マナコがなかなかカッコよく写っている。共演のスランキー・サイド、SYD38,夜光虫、皆いい演奏だった。次の日が戸川さんの誕生日とのことで、終わってから皆で乾杯する。ホントにいつまでもお元気でいてもらいたいものだ。例によって渋谷の居酒屋で打ち上げをするが、3時頃になると、さすがに眠くなってきて、タクシーで帰った。

23日の日曜日は四つ谷の「コア石饗」というアート・スペースに岡 佐和香さんのソロ舞踏公演『月の下、泥花の咲く頃』を観にいく。岡さんはブルベの初期の頃から踊ってもらっている創作舞踏の先鋭である。今回はセロとピアノの演奏とのコラボで、ある種の物語的なメッセージ性を打ち出していたように感じた。といっても水や泥、月、といったイメージを使っての抽象的なものだが・・・今回はそういった演出が加味された分、反対にいつも自分の美しい肉体一つで踊りきる岡さんの肉体の動き・踊り、というものが、少し抑えられているようにも感じられた。もう少し何かダイナミズムが欲しかった気もしたが、今回は静的な動きを狙ったのかもしれない。
 開演前に早く着いたので、四谷2丁目にある「太陽のトマト麺」という、話題のラーメン屋に入ってみた。トマト・スープと中華スープのドッキング的な味で、チーズとニンニクの風味が抜群に美味しかった。これを今度自分の家で作ってみたいのだが、こんな味になるかどうか、楽しみだ。

DSC01819.JPG3月21日(金)
昨年暮れあたりから、いわゆるビザール・ギターと呼ばれる60年代の変形B級ギターにはまっている。今までGIBSONの335やEPIPHONのCASINOを愛用してきたのだが、PEACOCK BABIESをやるようになって、ギターもガレージっぽいビザール・ギターを弾きたくなってきたのだ。この当時のものははっきりいって音的なことよりも、見てくれ、ルックスである。まあガレージ・サウンドにはそんなに高級な音は必要ないし。で、オレ的にはVOXがとてもルックスがかっこいい。ブライアン・ジョーンズが弾いていた涙型シェイプのTEAR DROPSも好きだが、ちょっと有名すぎる。それよりもPHANTOMという5角形の細長いギターが欲しくて、VOXのヴィンテージものは値段も高いので、最初はテスコの60年代のVOXのコピーもののDELRAYという水色のPHANTOM型ギターを買った。次にやはり60年代にイタリアのEKOというメーカーがTHE ROKESというロック・バンドのために作ったROKESギターも欲しくなり、これも多分、テスコの60年代のCOPYものを手に入れた。フライングVを短くしたような感じだが、オレ的にはフライングVより、このロケット型シェイプの方が断然カッコイイ。で、右用のギターに無理やり逆に弦を張ってPEACOCKのLIVEで弾いていたのだが、やはり右用のギターはヴォリュームつまみとか上になるので、とても弾きずらい。おまけに古いものなので、リペアに出しても部品がなかったりして、改造もままならない。そこで色々調べると、アメリカのPHANTOMという会社が現在VOXのギターのライセンスを取得し、VOXのカッコイイ・シェイプを復刻するとともに、現代のスペックを使って、より現代的な演奏性に優れたギターを作っていた。それで、大好きなPHANTOMの左利き用のを作ってもらって、それがやっと届いた。写真の右から2番目の白いのが、その2008年版左用のPHANTOMである。とても弾きやすく、音もしっかりしている。これを今後のPEACOCK BABIESのライヴでメインに使っていくことになるだろう。あす22日の9時から渋谷「青い部屋」に出演するので、是非見に来て欲しい。本当に、ギターというのは愛すべき子供たちのようなものだ。オレにとっては。

a8586185.jpg3月14日(金)
久々の雨。吉祥寺に用事で出かけたついでに、本日発売の萩原健一の告白本「ショーケン」(講談社)を買いに本屋に寄ると、既に売り切れと言われる。それで、パルコの地下の書店に行くと、やっとあった。帰って、一気に読み終えた。
 以前1983年に彼が大麻不法所持で逮捕された時にも「俺の人生どっかおかしい」という告白本を出しているが、今回のは彼の生い立ちから、今までの音楽や映画などの仕事や、結婚・離婚、そして最近の映画プロデューサー恐喝事件までの殆どのことを、実に赤裸々に素直に語り下ろした本だった。自分は母と不倫相手の間に生まれた子供だったこと、テンプターズ時代から毎回コンサート前には大麻やコカインまで吸っていたことなども、包み隠さず語っている。一言でいってみれば、不良少年の自伝だが、彼の性格的特長として、物事に取り組むと熱くなって、自分や周りを極限まで追い込んでいくといういい意味でも悪い意味でも、しんどい性格なのだと理解できる。とにかく納得しないことや、ナーナーで妥協することが死ぬほど嫌いなのだ。また彼が石原裕次郎や美空ひばり、黒沢明や神代辰巳監督らの巨匠たちと、実に濃密な関係を持ち、彼らから進んで多くのことを学ぼうとした、勉強熱心な人柄というのもわかって興味深かった。
 やりたい放題生きてきただけに、世間との軋轢も大きく、大麻で捕まった時にはTVCMのキャンセル料を3億円も取られ、その日の金にも困って、遊園地の子供相手にぬいぐるみの中に入って踊るというバイトを、あのショーケンが3ヶ月もやっていたなど、驚くべき事実も赤裸々に語られている。
 自分の人生で今までに3度の地獄を見たと彼は語っているが、そのたびに、彼は寺にこもって修行したり、四国八十八箇所、1500キロをお遍路さんの格好をして、約1ヶ月歩き続けたり、それ以後も何度もお遍路をして自分に活を入れてきたという。
 小泉一十三、桃井かおり、苑文雀、いしだあゆみ、前橋汀子、倍賞美津子、石田えり・・・と恋の遍歴も多かった彼だが、実はいしだあゆみは婚姻届を役所に出していなかったとか、国際的ヴァイオリニストの前橋灯子との同棲時には、彼女がヴァイオリンを弾くことに没頭し、ショーケンは映画の台本を読むことに没頭し、ガス台の上のやかんが爆発寸前になるまで、二人とも気がつかなかった・・等々、アーティスト同志の男と女が一緒に暮らしていくことの難しさなどが赤裸々に語られている。現在は57歳で妻も家族もなく、一人暮らしで、自分でスーパーで買い物をして、料理を作り、洗濯やアイロンかけをやっているという。あのショーケンがだ。05年に恐喝で逮捕されてからは、酒も睡眠薬も一切やめているという。そんな彼は、まだ自分の夢ををあきらめず、もっと素晴らしい映画や役者稼業に挑戦しようと決意している。
 ショーケンはテンプターズの頃からの大ファンで、美形で世間受けのいい沢田研二よりも、ボクは問題児のショーケンのほうが好きだった。映画『約束』に出てから彼の俳優の才能は開花し、『もどり川』や、『傷だらけの天使』等、多くの名作に主演してきたし、ドンジャン・ロックンロール・バンドの頃のライヴも最高だった。
 やはり才能がある余り、わがままで、自己主張の強い彼は、社会とうまく協調するのが難しかったのだと思う。でもこの本を読んで、ボクはそんなショーケンの生き様に大いに共感した。スケールの大小は違うが、オレもショーケンと同じように不器用な生き方しかできてこなかった。ただ、自分の納得のいかないことや、コビを売るような生き方は今後もしたくはない。突き落とされても、何度でも這い上がってやろうという強い意思、それをショーケンは持っている。だから、彼はこれからもやってくれるだろうし、今後の彼の活躍が楽しみだ。
 何か世の中とうまくいかずに悩んでいる人は、この本を読めば、きっと勇気をもらえるだろう。
 
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3月7日(金)

 約1ヶ月ほど、カキコもご無沙汰していた。
 一つには「ニューヨーク・ストリート・ロック・コレクション」と題した紙ジャケによるコレクタ-ズCDの復刻の監修の仕事をしていて、エリオット・マーフィーやシルヴェイン・シルヴェインのアルバムの解説や歌詞対訳を400字詰め原稿用紙で100枚以上書いていたから、暇がなかったのと、原稿の仕事が終わると、深夜1時から3時頃まで、毎日ヤクザ映画のVIDEOを観ていたからだ。

 東京に出てきて予備校に通っていた頃、毎週土曜日には池袋の文芸座のオールナイト5本立てをよく観にいっていた。予備校で知り合った奴がヤクザ映画の大ファンでそいつに連れられて観に行くうちに、オレもはまってしまった。鈴木清順の初期作品は大体そこで観たし、「東京流れ者」に出ていた渡哲也にしびれ彼の「人斬り五郎」シリーズは何回も観たものだ。
 最近、レンタルVIDEO店がDVDに移行したため、古いレンタル落ちのVIDEOがヤフオクなどで500円くらいで売られていて、そこで懐かしさも手伝って渡哲也の初期ヤクザ映画のVIDEOや、石井輝夫や鈴木則文監督らのスケバン映画や、B級カルト映画のVIDEOをせっせと集めているのである。

 渡哲也というと、一般的には「西部警察」とかの石原軍団のイメージが強いのだろうが、ボクは彼が1966-1976年あたりにかけて出演していたヤクザ映画の大ファンだ。特に実在したヤクザ藤田五郎の脚本による「人斬り五郎」シリーズは、皆どれも同じような筋書きなのだが、何度見ても面白いし、ジンと胸に来る。ヤクザなんて実際は弱いものを暴力でいじめ、金をまきあげ、女を犯して虐待すると言うひどい野郎が殆どなんだが、渡哲也演じる人斬り五郎は、素人の女には絶対に手は出さないし、かたぎの人には関わらない。彼は自分の恩のある親分や兄弟や子分がピンチに会った時、その恩や仁義のために、自分の命を張ってドス一本で大勢のヤクザに立ち向かっていくのである。オレはことさら暴力シーンが好きでヤクザ映画を観ているわけではない。「義理」とか「仁義」という考え方が好きなのだ。あるいは「これだけは許すことはできない」という自分の「哲学」とか「信念」、そういうものを簡単には捨てられない、いわば男たちのハードボイルドな美学というものに惹かれるのだ。自分の愛していた女や身内が虫けらのようになぶり殺しにされたら、普通は法の裁きを待つのが常識だが、彼らは、自分の手でおとしまえをつけるために、戦いを挑んでいく。それはこの現代市民社会、法治国家からは逸脱した犯罪行為だろうが、オレにはその心情は痛いほど理解できる。自分自身が暴力には暴力でとか、目には目をの復讐の論理を行使しようとは思わないが、ただひとつ「これだけは、許すことはできない」という気持ちというか掟や哲学を持つことは絶対に必要だと思っている。マーマー、まー、いいーじゃないか・・という「義理」も「正義」も「人情」も「恩」も忘れ去られてしまった軽佻浮薄な人間ばかりが溢れかえる世の中だが、相手や自分の不義理や仁義に反したことには、暴力はよくないが、はっきりと白黒をつけ、謝罪したり反省したりする心を忘れ去ってはならないと思っている。大人なら自分のウンコは自分で拭くように、自分が犯した過ちの尻拭いは自分で拭かねばならないのだ。渡哲也は実際にも仁義に厚い人で、先輩の石原裕次郎が大借金を抱えて困っていた時に、自分の全貯金1000万円を下ろしそれを持って石原プロの門を叩いたと言うし、淡路島出身の彼は、阪神大震災のときに石原プロ率先して、被災者に炊き出しを配りにいったものである。彼の昔のヤクザ映画を観ていると、今の時代には見当たらない「仁義」や「命をかけた友情や愛情」というものにジンときてしまう。

 その仁義を全く捨て去った実在した狂気のヤクザ、石川力夫を渡哲也が演じた『仁義の墓場』(1976)という映画が凄い。あの深作欣二監督作だが、親分や友達もぶっ殺し、シャブ漬けになりながら、ひたすら狂気に落ち込んで行った石川力夫の底知れぬ業のようなものを、渡哲也はまさに鬼気迫る演技力で演じている。現在の穏やかなおじさん役の渡ではなく、この当時の渡哲也は本当に凄いとしか言いようがない。同じく深作監督でシャブ中の刑事を演じた『やくざの墓場:くちなしの花』というのも凄いが、やはりこの『仁義の墓場』は、DVD化もされているので、一度は観ておいて欲しい凄い映画であると思う。
2月5日(火)
★2月4日の終わりとともに、やっと長かった2年間の天中殺を脱した。天中殺とは、ボクの学んでいる算命占星学の理論で、どんな人間も12年間に2年間の運気の谷間に入り、その2年間は運気が下がり、結婚、出産,転職、等、新しいことをスタートさせると、そのことは全て凶運の結果になって終わるというものだ。細木和子の六星占星術では、大殺界といって3年間になっているが、算命では2年間と考えている。
 車に例えれば、12年間ぶっ飛ばしてきた車は、オイル漏れやエンジン・トラブルが出ていて、それを車庫入れして、整備し、2年後に再び走り出すまでの準備・調整期間と考える。
 本当にこの2年間はロクなことがなかった。経済・仕事的にも今までの人生で最悪の体験をした。

 逆に天中殺には新しいことを始めてはいけないが、腐れ縁や、終わるべきものが終わる時期とも考える。そして去年は父が永眠し、10年飼っていた長老猫のチャーリーが死に、そして天中殺が終わる約1週間前に、7年間つきあってきた女性と別れることになった。彼女とは6年間同棲し、去年は別居をしたものの、まだずるずると付き合っていたのだが、今回はきっぱりと別れることになった。簡単に言えば、もともと性格は水と火くらいにちがっていたのだが、思想やものの見方や考え方がもう全く会わなくなっていたし、2人で共通の目標に向かって進んでいくこともなくなってしまったから、ただSEXだけの関係をダラダラと続けていても、もう終わりは見えていたからだ。

 彼女は歌を作って歌っているシンガー&ソングライターの一人で、最初の出会いは彼女の歌を聴いていいと思ったボクが、彼女の自主制作アルバムを応援するというところから始まった。メールでそういう音楽活動についてやりとりするうちに、結婚していた彼女はそんなボクに心を寄せるようになり、いきなりダンナと別れて一緒にくらしたいとボクの家に転がり込むこととなった。そして彼女の離婚も成立し、一緒に暮らし始めるようになった。そしてボクは彼女のCDデヴューに力を貸し、レコード会社を紹介したり、演奏メンバーを紹介したり、デヴュー・アルバムのプロデュースやアレンジを手伝ったりした。初期の頃は彼女の音楽活動を応援するという共通の目標があったのだが、やがて彼女は全てを自分ひとりでやりたくなり、最終的には昔はいつもできた曲を聞かせて意見を求めていたのが、もう聞かせなくなっていた。最終的には、彼女は一人で暮らす方が、ボクのために自分の時間を取られることもなく、全て自分の自由に時間を使えるからと、家を出て行った。本来ならそこで終わっていたはずが、SEXやときたまの寂しさをまぎらわす相手として、1年間ずるずると付き合いは続いていた。だが、そんなつきあいは結局うまくいくわけはなかった。互いの溝はますます深くなっていただけだった。


 ボクは1回結婚に失敗しているし、その後何人かの女性と付き合ったりもしたが、いつも最後には別れてしまう。それはボクもオスだからSEXの喜びは欲しいが、やはり一緒に何か共通の目的を持って生きていける、ライフ・パートナーとしての女性を求めているからだ。敬愛するジョン・レノンとヨーコや、シナロケの鮎川&SHEENAさんみたいに、ふたりで共通の夢をもって生きていける人じゃないと、上手くはいかないのだ。そうでなければ、ただのセックス・フレンド以上にはなれないだろう。残り少ない人生、今後ボクはそのような互いにとって互いが必要なパートナーと出会えるかどうか、それはわからない。ただ、今ボクには凄く好きで、力になりたいと思う女性がいる。とりあえず、運気の下降線からは脱出できた。これからはもっとポジティヴに様々な計画を実現させていきたい。
1月25日(金)
TVの「誰でもピカソ」で「ちあきなおみ伝説」を見た。
ちあきなおみは、名曲「喝采」でレコード大賞を取っているし、一時コロッケがモノマネしたりして名前は知られているが、彼女について、オレも深くは知らなかった。
昨年からPEACOCK BABIESをスタートさせ、それまで遠ざけていた日本の昭和歌謡曲を色々と聞くようになり、その中で、ちあきなおみの素晴らしさを大いに認識した。
とにかくものすごい歌唱力と表現力を持つ歌手だが、オレは彼女の「夜へ急ぐ人」という曲にやられた。この曲はあのアングラ・フォークの友川かずきが書いた曲で、まるで「シュール歌謡」とでも呼べる愛の不条理を見事なアーティステックな歌詞とイメージで歌いきっている。
ちあきのその歌が入っている『あまぐも』というアルバムは、Aサイドを河島英吾に、Bサイドを友川かずきに曲を依頼して、バックをゴダイゴが演奏し、彼女がシンガー&ソングライターものに接近したアルバムだが、とにかく友川の作品が全て凄く、ちあきも見事に歌いきっている。ただ「夜へ急ぐ人」はベスト盤に入っているシングル・バージョンの方がずっといい。

 彼女は決して一箇所に留まらず、フォークやニューミュージック、演歌、ジャズ、シャンソン、ポルトガルのファド等、様々なジャンルの歌に挑戦し、持ち前の天才的な歌唱力で、見事に自分のものとしていった。最近知ったのだが、彼女の結婚した夫は、「野良猫ロック」等にも出演していた、俳優の郷 瑛司だったそうだ。そして夫が病死すると、彼女は一切の芸能活動をやめて引退してしまった。そして彼女は幻の歌手として今や伝説として語られる存在になっていたのである。

 TVでは彼女が歌う映像がいくつか流れたが、特に「ねえ、あんた」とう曲は、まるで、シャンソンのように、お芝居のように、愛する男に歌い語りかけるちあきの表現力が、鳥肌が立つほど素晴らしかった。まさに天才である。彼女のステージがもう2度と見れないのなら、せめてDVDくらい発売できないものか。もう一度言う。ちあきなおみは天才的なシンガーである。
1月10日(木)
★新春初仕事は、渋谷で占いの仕事。去年占ったことのある70歳のクラシック音楽家のEさんからの依頼で、彼と彼の長年の女友達との関係を占う。Eさんは去年初めて占ってから、ボクの占いをよくあたると絶賛、それ以後自分の友だちや兄弟などを、定期的に紹介してくださる。このように喜んでいただけると、自分の占いも世の中の人の人生に役立っているんだなと思えて、とても嬉しい。

★木曜日の深夜に「トシガイ」という番組をやっている。これは毎回一人のタレントや文化人を選んで、その人の年齢に1万円をかけた金額を渡し、その金額をぴったり使ってその人が自分の人生のために役に立つ本当に欲しいものを買ってもらうという企画だ。今まで女優の菊川礼がずっと弾きたかったピアノを買ったり、チョイ悪オヤジ・ファッションでおなじみのジローラモがカヤック(カヌーみたいなボート)を買ったりしていた。今夜はTVでもよく見る脳科学者の茂木健一郎が出ていた。この人、科学者なんだが、尾崎豊の歌は全曲歌えるとか言ってて、ちょっと面白い奴だなと思っていたが、彼の趣味は、いわゆる「書画」で、夏目漱石の「書」を180万円で買ったりと、かなり風流なものだという。彼の年齢分の45万円が番組から渡されたが、それで何を買うのかと興味深く見ていたら、その使い方が実に「粋」でかっこよかったのには感激した。
 彼には昔から仲間とよく通っていた「魚徳」という、最高に美味いあんこう鍋を食わせる店があった。常連でそこの大将とも懇意にしていたが、数年前に経営難でその「魚徳」は店を閉め、大将の行方もわからなくなった。それでこの企画がTVから来た時、彼は、今はひっそりと小さな洋食屋を営む大将の所在をつき止め、その店を1日だけ借り切って、自分の親しい仲間や世話になった人など、十数人を集めて、往年の「魚徳」を再現し、あのあんこう鍋を喰う会を開催させたのである。茂木氏はその日のために7万円で杉板の素晴らしい「魚徳」の看板を作らせ、残りの38万円で店を借りきり、十数人の仲間に最高のあんこう鍋をたらふくふるまったのである。
 あんこうさばき名人の大将に、久しぶりにあんこうをさばく機会を与え、仲間たちにもその美味さを分かち合うという、これぞ実に「粋」といわずして、なんと言うか。その1日のために45万円をパッと使い切るかっこよさは、まあ生活に余裕があればこそだろうが、このようなあぶく銭は一晩でパッと使いきってしまうという、潔さと、そのかっこよさにやられた。久々に「粋」な男を見た思いがした。茂木健一郎というこの人、ボクの中ではずっと記憶に残る「カッコイイ男」のひとりとなった。
鳥井賀句