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音楽評論家、ミュージシャン、DJ、占い師:鳥井賀句の日々徒然のブログ
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2月20日(金)
50歳を過ぎる頃から、色々と自分の心境というか、人生観が変化してきたのを感じるようになった。例えば、小さなこととかを気にしなくなったし、人にあまり腹をたてなくなった。昔は大嫌いで、顔をみたくもないと思っているヤツと偶然に出会っても、「やあ」と挨拶だけする余裕ができるようになった。ただ義理に反したことをする奴はそう簡単には許せない。先日友人の映画監督の高橋玄が、ブログの中で「私はすべてを「筋=スジ」の問題で解釈する。合法か違法か、善か悪か、ではなく「義か不義か」で見るのがスジ論だ」と書いていたが、ボクも全く同感である。前につきあっていた女は、物事を善か悪かでしか考えられず、義か不義かという概念が理解できなかったから、別れたのだ。

哀しいことや嫌なことが起こっても、まあこれも何かを自分に教えるために起こっていることなんだ・・・と思えるようになってきた。それはボクがもう10年以上、占いというか運命学を学んできたからかもしれない。この世で自分の前に起こっているできごとは、決して偶然ではなく、必然であり、自分に何かを教えるために起こっていることなんだ・・・という考えをボクは信じている。

音楽だって昔はゴリゴリのロック馬鹿で、ロック以外のジャズや歌謡曲なんてのは、徹底的に敵対視してきたが、DJをやったりして色いろんなジャンルの音楽を聴くようになって、あらゆるジャンルの音楽やアートには、それぞれ誰が体験しても凄いと思わせる「天才」や「マエストロ」がいることが理解できるようになり、また和食以外のイタリアン、フレンチ、中華、韓国料理、インド料理・・と、それぞれに色々なジャンルにも美味しい料理があるように、色々なジャンルの音楽を楽しむようになった。最近DJでは越路吹雪の古いシャンソンから、ブラジル音楽、サザン・ソウル、ブーガルー、ラテン・ジャズ、70年代フォーク、コミック・ソングなど、なんでもありで、むしろロックはあまりイヴェント以外ではあえてかけていない。あまりにも聴きすぎて飽きてしまっていることもあるが・・

最近とみに思うのは、愛し合える人が欲しいなということだ。これまで一度離婚して、7年同棲して、その他にも1年とか短いスパンで何人かの女性と付き合ってきたが、結局、男と女は、誰に最期を看取ってもらうかだと思うようになった。自分の最期を看取ってくれる関係の人が、人生最後の相手だと思う。自分が死んだら葬式を出してくれて、親しい友達や関係者に連絡を取ってくれて、残された猫の世話をしてくれる。そんな人がやはり必要だ。勿論、そのぶん、彼女のためにお金は残しておく。飯島愛みたいに、一人ぼっちで、死後1週間して腐乱死体で見つかるのは嫌だ。今まで色々女性と恋をしてきたが、今はもっと実直に人生の「つれあい」「ライフ・パートナー」を見つけたい。かわいい子やきれいな子、いいなと思う子は身の回りにも沢山いるけど、この人とライフ・パートナーとなりたいと思える人はなかなか見つからない。
毎月、ちょっと気になる人が目の前に現れるのだが、それ以上進展しない。去年は6人の女性と映画やコンサートや食事にいったりとデートしたが、それ以上追いかけたいとは思えなかった。
先日の「占いの館」で、西洋占星術でよく当たる銭天牛先生に占ってもらったら、今年の10月頃に現れるそうなので、それまで待つようにと言われた。誰かボクと付き合いたい人いたら、メールください。条件は1)音楽や芸術が人生で重要なパートを占めている人、2)自分でも何か表現活動を本気でやっている人、3)お洒落な人、4)料理が上手、あるいは食べることが好きな人、5)お酒が少しでも飲める人、6)セックスに偏見を持っていない人、7)ブランドとか贅沢とか拝金主義よりも、スピリチャルな世界を求めている人、8)猫や小動物が好きでかわいがれる人、9)精神的に自立している人、10)旅行や人と知り合うことにオープンな人、11)何かやりたいことのために学んだり、勉強したり、努力している人、12)男女の関係以外に、お互いが相手をリスペクトできて、お互いに学びあっていける人,13)お互いに時間をやりくりして、旅行、映画、コンサートなど、共通の思い出を作っていける人

とりあえず、お話ししたいですね。こんなことを書きたくなったのは、
ネットで樹木希林さんと内田裕也さん夫婦のことが載っていたから。内田裕也さんといえば、家庭崩壊のイメージがあったけど、結局最期は皆、夫婦の愛に帰っていくのかなあと思った。とてもいい記事である。


乳がんの手術を平成17年に受けた女優の樹木希林さん(66)。「納得のいく死」を意識したとき、脳裏に浮かんだのは、ロック歌手の内田裕也さんのこと。長年、別居していた夫と向き合おう。そう決意して対面したと語る樹木さんの目には、力強いエネルギーが宿っていました。(竹中文)

乳がんの手術をする直前に内田裕也さんと向き合おうと思ったんです。

 裕也さんは昭和56年に、私に無断で区役所に離婚届を出しました。私が離婚無効の訴訟を起こし、裁判で争い、裁判官にまで「あんなに嫌がっているんだから、別れてあげなさいよ」なんて言われたことがあったんです(笑)。裁判で離婚は無効になり、籍は戻ったけど、裕也さんと連絡を取るのは1年に1回だけ。このまま裕也さんを恨んで死ぬのは悪いなと思って、ほったらかしにしていたことを謝ろうと思ったの。

 でも、男の人って、いろんな質(たち)があるけれど、別居している奥さんと面と向かって、しっかり話をするというのは苦手なんじゃないかな。まして夫なんて、カーッとして一生送っているという感じだから、2人だけでは話はできないと思ったの。

               ■ □ ■

 だから、知人に「謝りたいから、仲介して」とお願いして、食事の席を設けてもらったんです。でも、夫は1時間ぐらい、次から次へと違う話をして核心には触れさせてくれなかった。

 そのうち時間がなくなってきて、仲介者が時計を見始めたから「ちょっと私にしゃべらせて!」「謝らせてくれ!」と怒鳴ったわけ。首根っこをつかまえて謝るっていう感じだったわね。仲介者には「けんかごしで謝っている現場を初めて見た」と言われました(笑)。

 そのとき、裕也さんは何も言わなくて、そのまま、さようならって別れたんだけど、その後、別の知人が、飲食店で、ものすごく機嫌のいい裕也さんと会ったらしい。夫は何かを承知したんでしょうね。

 それから月に1度、裕也さんと会うようになって。長い夫婦の戦いは終わりました。元気なうちは分かりあえなかったけれど、お互いに病気して、体力がなくなっちゃったから通じあうようになったんだろうね。私は15年に網膜剥離(はくり)になって、裕也さんも同じころに目の病気を経験して。それから私が乳がんになって、お互いに“老老介護”が必要になったのね。

               ■ □ ■

 昨年の夏には「祇園祭に行ってみようか」「いいね」という話になって、一緒に宿泊したんです。目が悪いと危ないから、いつも腕を握っていました。偶然、そうなっちゃったのよ。熟年離婚なんて言葉も浸透してきちゃったけど、老いてから別れるのはもったいないわよ。

 乳がんの手術後、毎年1月には、裕也さんと一緒にハワイで過ごすようにもなりました。真珠湾では必ず手を合わせる。そこにも一緒に手をつないでいく。毎年、これが最後だなあって思いながらいくわけよ。そんなに先が長いとは思えない。その覚悟はあるから。

 私の出演した映画「歩いても 歩いても」について、裕也さんが感想を言ってくれたこともありました。「一般料金で映画館で見たぞ」だってさ。シニアの料金で見ればいいのにさ。そんなところで頑張るんだよね(笑)。「映画に登場するような会話がない夫婦にはなりたくねえな」と言っていたけど、でも、長年連れ添ったら顔を見なくても意思疎通ができるのは自然よね。うちは一緒に住んでいなくて、会うときは話があるから、いつも目を見てしゃべっているだけ。

 嫌な話になったとしても、顔だけは笑うようにしているのよ。井戸のポンプでも、動かしていれば、そのうち水が出てくるでしょう。同じように、面白くなくても、にっこり笑っていると、だんだんうれしい感情がわいてくる。だいたい私は仏頂面なので、「なあに」なんて言っただけでも、裕也さんに「怒ってんのか」と言われちゃう(笑)。そうならないようにね。

 死に向けて行う作業は、おわびですね。謝るのはお金がかからないから、ケチな私にピッタリなのよ。謝っちゃったら、すっきりするしね。がんはありがたい病気よ。周囲の相手が自分と真剣に向き合ってくれますから。ひょっとしたら、この人は来年はいないかもしれないと思ったら、その人との時間は大事でしょう。そういう意味で、がんは面白いんですよね。

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鳥井賀句